網膜静脈閉塞症

網膜静脈閉塞症

「朝起きたら、片方の目が急に見えにくくなっていた」
「視界の一部が、まるで墨を流したように暗く感じる」
「カレンダーの線が波打って見える」

もし、あなたやあなたの大切なご家族に、このような症状が突然現れたなら、それは「網膜静脈閉塞症」という目の病気かもしれません。この病気は、特に50歳以上の方に多く見られ、日本の大規模な調査では40歳以上の約50人に1人が発症すると報告されている、決して珍しくない疾患です。

多くの場合、痛みがないため「疲れ目だろう」と軽視されがちですが、その背景には高血圧や動脈硬化といった全身の病気が隠れていることが多く、放置すれば「黄斑浮腫」「血管新生緑内障」といった深刻な合併症を引き起こし、永続的な視力障害、最悪の場合は失明に至る可能性もあります。

しかし、必要以上に怖がることはありません。網膜静脈閉塞症は、早期に発見し、適切な治療を迅速に開始することで、視力の維持・改善が十分に期待できる病気です。
この記事では、眼科専門医の立場から、網膜静脈閉塞症とはどのような病気なのか、そのメカニズムから原因、症状、そして最新の治療法まで、どこよりも詳しく、そして分かりやすく解説します。ご自身の目の状態を正しく理解し、適切な一歩を踏み出すための一助となれば幸いです。

目次

網膜静脈閉塞症とは?~目の奥で起こる「血管の交通渋滞」~

私たちの目が見る仕組みをカメラに例えるなら、光を感じ取るフィルムやイメージセンサーの役割を担っているのが、目の最も奥にある「網膜」です。厚さわずか0.1~0.4mmの透明な膜ですが、光の情報を感知し、脳に伝えるための神経細胞が規則正しく並んだ、非常に精密で重要な組織です。

この網膜が正常に働くためには、絶えず新鮮な酸素と栄養が必要です。そのライフラインとなっているのが、網膜全体に張り巡らされた血管です。心臓から酸素と栄養を運んでくるのが「網膜中心動脈」、そして網膜で使われた後の二酸化炭素や老廃物を含んだ血液を心臓へ戻すのが「網膜中心静脈」です。動脈と静脈は、網膜の上で木の枝のように細かく分岐し、網の目のように広がっています。

網膜静脈閉塞症は、この血液を戻す役割の「静脈」が、何らかの原因で詰まってしまう(閉塞する)病気です。出口を失った血液は行き場がなくなり、静脈内の圧力が高まります。その結果、血液やその成分が血管の壁から漏れ出し、網膜の上にあふれ出てしまいます。これが、この病気の本体です。

  • 眼底出血:血管から漏れ出た赤血球が網膜の表面に広がった状態です。
  • 網膜浮腫(むくみ):血管から漏れ出た血漿(けっしょう)という液体成分が網膜内に溜まり、網膜が水ぶくれのように腫れあがった状態です。

この出血や浮腫が網膜の働きを直接的に障害し、様々な視覚症状を引き起こすのです。特に、網膜の中心部であり、最も感度が高く、視力の要である「黄斑」に浮腫が及ぶ「黄斑浮腫」は、著しい視力低下や歪みの原因となり、治療における最大のターゲットとなります。

なぜ痛みがないのか?

これほどダイナミックな変化が目の奥で起きていても、網膜静脈閉塞症では、血管新生緑内障のような合併症が起こらない限り、痛みを感じることはありません。なぜなら、網膜自体には痛みを感じる神経(痛覚神経)がないからです。そのため、自覚症状は「見え方のおかしさ」のみとなり、発見が遅れる一因にもなっています。

網膜静脈閉塞症の2つのタイプ:「枝」が詰まるか、「幹」が詰まるか

網膜静脈閉塞症は、静脈のどの部分が詰まるかによって、大きく2つのタイプに分類されます。重症度や症状の範囲、治療方針も異なるため、この分類は非常に重要です。

1. 網膜静脈分枝閉塞症(BRVO:Branch Retinal Vein Occlusion)

網膜の静脈が木の枝のように分かれた、その「枝」の部分で閉塞が起こるタイプです。網膜静脈閉塞症の多くがこのBRVOであり、主に動脈と静脈が立体的に交差する「動静脈交叉部」で発症します。硬くなった動脈が、その下を走る柔らかい静脈を押しつぶすことで血流が滞り、血栓(血の塊)が形成されて詰まってしまうのです。

出血や浮腫は、詰まった静脈が担当していた領域に限定されます。そのため、閉塞した場所が黄斑から離れていれば、自覚症状が全くないこともあります。しかし、黄斑部を巻き込む形で閉塞が起きたり、黄斑部に浮腫が広がったりすると、急激な視力低下や変視症(ものが歪んで見える症状)を自覚します。

2. 網膜中心静脈閉塞症(CRVO:Central Retinal Vein Occlusion)

すべての静脈の枝が集まって一本の太い「幹」となる根元の部分(視神経乳頭部)で閉塞が起こるタイプです。根元が詰まるため、血液のうっ滞は網膜全体に及び、BRVOに比べてはるかに広範囲な眼底出血や網膜浮腫を引き起こします。そのため、症状は重篤になることが多く、視力も0.1以下まで著しく低下するケースが少なくありません。

CRVOはさらに、網膜の血流が比較的保たれている「非虚血型」と、広範囲にわたって血流が途絶え、網膜が深刻な酸素不足に陥っている「虚血型」に分けられます。「虚血型」は視力予後が極めて不良であり、前述した最も恐ろしい合併症である「血管新生緑内障」を高率に発症するため、厳重な経過観察と迅速な治療介入が必要となります。

発症の引き金は生活習慣病~あなたの体からの危険信号~

網膜静脈閉塞症は、単なる「目の不運」で起こるわけではありません。その発症には、全身の健康状態、特に血管の状態が深く関わっています。これは、あなたの体から発せられる重要な危険信号(SOS)なのです。

最大の危険因子は「高血圧」と「動脈硬化」

高血圧は、常に血管の壁に高い圧力をかけ続けることで、血管の弾力性を失わせ、壁を厚く硬くする「動脈硬化」を促進します。BRVOの主な原因となる動静脈交叉部では、硬化した動脈が静脈を圧迫し、血流の「渋滞」を引き起こします。網膜静脈閉塞症と診断された患者さんの実に60~70%が高血圧を合併しているとのデータもあり、血圧の管理がいかに重要であるかを示しています。

その他にも、以下のような疾患や生活習慣が危険因子となります。

  • 糖尿病:長期間の高血糖は、血管の内壁を傷つけ、動脈硬化を進行させます。また、血液そのものを粘り気のある状態(過粘稠)にし、血栓ができやすくなります。
  • 脂質異常症(高コレステロール血症):血液中の悪玉コレステロールなどが血管壁に沈着し、動脈硬化の直接的な原因となります。
  • 加齢:年齢とともに誰でも血管は老化し、硬くなっていきます。そのため、50歳以上で発症リスクが上昇します。
  • 緑内障:特にCRVOにおいて、高い眼圧が視神経乳頭部を圧迫し、中心静脈の血流を妨げる一因となる可能性が指摘されています。
  • 喫煙:ニコチンは血管を収縮させて血圧を上昇させ、多くの有害物質が血管内皮を傷つけて動脈硬化を促進します。
  • 血液疾患:比較的まれですが、血液が固まりやすい体質(多血症、抗リン脂質抗体症候群など)が、若年者の発症原因となることもあります。

このように、網膜静脈閉塞症は「全身の血管病のサインが、目に現れたもの」と捉えることができます。したがって、眼科での治療はもちろんのこと、原因となっている高血圧や糖尿病などを内科でしっかりと管理し、生活習慣を改善することが、再発予防や反対の目の発症を防ぐ上で極めて重要です。

見逃さないで!網膜静脈閉塞症が発するSOSのサイン

繰り返しになりますが、症状は「片方の目に」「突然」「痛みなく」現れるのが特徴です。以下のような見え方の異常に気づいたら、決して放置せず、速やかに眼科を受診してください。

  • 急な視力低下:最も一般的な症状です。「昨日は普通に見えていたのに、朝起きたら急に視力が落ちていた」といったエピソードが典型的です。
  • 変視症(ものが歪んで見える):黄斑浮腫の代表的な症状です。直線のものが波打って見えたり、中心が暗く歪んで見えたりします。ご自宅でカレンダーや方眼紙などを見て、セルフチェックすることも可能です。
  • 視野欠損(見える範囲が欠ける):BRVOで、閉塞した領域に対応する部分の視野が暗く見えたり、欠けて見えたりします。「カーテンがかかった」「黒い影が広がる」などと表現されます。
  • 霧視(かすんで見える):CRVOのように網膜全体に出血や浮腫が広がると、視界全体が霧がかったようにぼやけて見えます。

これらの症状の程度は、閉塞の場所や程度によって様々です。ほんの少しの歪みやかすみでも、それは重大な病気の始まりかもしれません。「年のせい」「疲れているだけ」と自己判断せず、専門家である眼科医の診察を受けることが、あなたの視力を守るための第一歩です。

放置が招く視力低下と失明の危機~深刻な3つの合併症~

網膜静脈閉塞症の本当に恐ろしい点は、発症そのものよりも、その後に引き起こされる合併症にあります。網膜の血流が悪くなり、酸素不足(虚血)に陥ると、網膜はSOS信号としてVEGF(血管内皮増殖因子)という物質を大量に放出します。このVEGFが、視機能を脅かす様々な悪影響を及ぼすのです。

1. 黄斑浮腫

黄斑浮腫

VEGFは血管の壁の隙間を広げ、血液成分を漏れやすくする作用(血管透過性亢進作用)を持っています。これにより、視力の中心である黄斑に水分が溜まり、腫れ上がってしまいます。これが黄斑浮腫です。視細胞が密集する黄斑がダメージを受けるため、視力は著しく低下し、ものが歪んで見えるようになります。この黄斑浮腫をいかにコントロールするかが、視力予後を決定づける最大の鍵となります。

2. 血管新生緑内障

VEGFは、その名の通り、新しい血管(新生血管)を生み出す強力な作用も持っています。酸素不足を補おうとする体の代償反応ですが、この新生血管は非常にもろく、正常な機能を持たない質の悪い血管です。この新生血管が、目の中の水の出口である「隅角」にまで生えてくると、フィルターが目詰まりを起こすように房水(目の中を循環する水)の流れが妨げられ、眼圧が急激に上昇します。これが血管新生緑内障です。激しい目の痛みや頭痛、吐き気を伴い、治療は極めて困難で、短期間で失明に至ることもある、最も恐ろしい合併症です。

3. 硝子体出血

もろい新生血管は、わずかなきっかけで簡単に破れ、出血します。目の中の大部分を占めるゼリー状の組織「硝子体」の中に出血が広がると、光の通り道が遮られ、視界に蚊のようなものがたくさん飛ぶ「飛蚊症」の急な悪化や、急激な視力低下を引き起こします。

当院で行う診断のための精密検査

鶴見区今福鶴見の大阪鶴見まつやま眼科では、網膜静脈閉塞症の正確な診断と、一人ひとりの患者さんに最適な治療方針を決定するため、以下のような検査を行います。

  • 視力検査・眼圧検査:目の基本的な状態を確認します。
  • 眼底検査:点眼薬で瞳孔を広げ(散瞳)、検眼鏡や眼底カメラを用いて医師が網膜の状態を直接、詳細に観察します。出血の範囲、静脈の拡張・蛇行、黄斑部の状態などを確認する、最も基本となる重要な検査です。
  • 光干渉断層計(OCT):網膜に弱い赤外線を当て、その反射を解析することで、網膜の断面をミクロン単位で画像化する検査です。特に黄斑浮腫の有無や程度を立体的かつ定量的に評価することに絶大な威力を発揮します。痛みもなく、短時間で終わります。治療効果の判定にも不可欠です。
  • 蛍光眼底造影:腕の静脈から造影剤を注射し、特殊なフィルターを使って眼底の血流状態を連続撮影する検査です。血管が閉塞している部位や、血液成分が漏れ出している場所、そして血流が途絶えている虚血領域の範囲を正確に把握することができます。この検査結果は、後述するレーザー治療の要否や治療方針を決定する上で非常に重要な情報となります。

視力を守るための最新治療~当院の治療方針~

現在の網膜静脈閉塞症の治療は、以前に比べて格段に進歩しています。治療の二大目的は、①黄斑浮腫を改善させ、視力を維持・向上させること、そして②新生血管の発生を抑制し、血管新生緑内障などの重篤な合併症を予防することです。
当院では、科学的根拠に基づき、患者さんそれぞれの病状に合わせた最適な治療法をご提案します。

1. 抗VEGF薬硝子体内注射【現在の主流治療】

黄斑浮腫に対して、現在世界中で第一選択となっている治療法です。黄斑浮腫や新生血管の発生の元凶であるVEGFの働きを直接ブロックする「抗VEGF薬」を目の中(硝子体腔)に直接注射します。非常に強力に浮腫を軽減させ、視力を改善させる効果が期待できます。

硝子体注射

注射は点眼麻酔で行い、痛みはほとんどなく、数分で終了します。薬の効果は永久ではないため、病状が安定するまで複数回の注射が必要となります。一般的には、まず月に1回の注射を3回程度行い(導入期)、その後は網膜の状態をOCT検査などで評価しながら、注射の間隔を徐々に延長していきます(維持期)。根気強い治療が必要ですが、視力維持のために最も効果的な治療法です。

2. レーザー光凝固術【合併症の予防】

これは、視力を直接回復させる治療ではなく、将来起こりうる重篤な合併症を「予防」するための重要な治療です。蛍光眼底造影検査で特定された、血流がなく酸素不足に陥っている虚血領域に対し、レーザーを照射して網膜組織を凝固させます。虚血網膜はVEGFの産生工場であるため、ここを凝固させることでVEGFの放出を抑え、新生血管の発生や血管新生緑内障への進展を防ぐことができます。特にCRVOの虚血型や、広範囲な虚血を伴うBRVOでは必須の治療となります。

3. ステロイド薬の局所投与

ステロイドの持つ強力な抗炎症作用を利用して、黄斑浮腫を軽減させる治療です。白目の膜の下に注射する「テノン嚢下注射」や、目の中に薬剤を留置する「硝子体内インプラント」といった方法があります。抗VEGF薬治療で効果が不十分な場合などに選択されることがあります。眼圧上昇や白内障の進行といった副作用の可能性があるため、適応を慎重に判断します。

4. 硝子体手術

硝子体出血が長期間改善しない場合や、難治性の黄斑浮腫、網膜の表面に膜が張る黄斑上膜を合併した場合などに行われる専門的な手術です。目の中の出血や濁りを除去し、原因となる状態を改善します。

まとめ:あなたのその目は、体全体の健康を映す鏡です

網膜静脈閉塞症は、単なる目の病気ではなく、高血圧や動脈硬化といった全身の生活習慣病が深く関わる、体からの重要なメッセージです。

  • 突然の視力低下、歪み、視野の欠けは、網膜静脈閉塞症のサインかもしれません。
  • 痛みがないからと放置すると、失明につながる深刻な合併症を引き起こす危険があります。
  • 原因となる高血圧や糖尿病などの内科的管理が、目の治療と同じくらい重要です。
  • 近年の治療法の進歩により、早期に適切な治療を開始すれば、良好な視力を維持できる可能性が高まっています。

「おかしいな?」と感じた時が、受診のベストタイミングです。

自己判断で様子を見ることが、最も視力を危険にさらす行為です。
鶴見区今福鶴見の大阪鶴見まつやま眼科では、豊富な経験を持つ専門医が、最新の検査機器を駆使して正確な診断を行い、患者さん一人ひとりの状態とライフスタイルに合わせた最適な治療法をご提案いたします。
どんな些細な見え方の変化や不安でも構いません。どうぞ、ためらわずに私たちにご相談ください。
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